繋がる自然と人と社会(in 八幡平 キリン労働組合)越境探究プログラム
八幡平のブナの原生林より
キリン労働組合さんは、多様な価値観に触れることから、自分たちの立ち位置を振返り、内省の場をしっかりと作りたいという思いから本プログラムの実施に至りました。多くの地域との関りがあるHuman abundanceとして、今回キリン労働組合さんの思いのぴったりの地域として岩手県八幡平で実施をしました。
プログラムのテーマ・ねらい・目標
内容 | |
テーマ | 地域社会を創る”リーダーたちは、創造力豊かに、自発的・自律的に暮らしている |
ねらい | 地域社会にを創る、リーダーたちの多様な価値観に触れ、自らの初志や立ち位置を振り返る |
目標 |
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岩手県八幡平市、盛岡駅から車で約1時間。安比高原リゾートして冬のシーズンは賑やかな地域です。今回のプログラム実施は7月でしたが、18面あるハードコートでのテニス大会が開催されていました。白樺に囲まれ、朝晩は涼しく過ごせる自然豊かな地域です。
八幡平でのプログラムの特徴は、自然環境豊かなことは勿論のこと、「時代の変遷を辿り、心の豊かさが求められる最適化社会を考える」ことができる資源を有していることが挙げられます。八幡平市に存在した東洋一の硫黄鉱山があり、鉱山労働者が住んでいた鉄筋アパート群が廃墟となって現存している地域です。現在は、若手のプレイヤーたちが、地域振興、環境再生に専心している地域でもあります。キープレイヤーに出会い、時代の変遷を追いながら、「個人と社会」「人と機械」「人と自然」について考え、今後の変革人材としてのリーダーシップについて考えるプログラムです。
このプログラムは、Human abundanceの越境的要素をアカデミックに組込むナレッジと、地域に深く入り込み歴史的背景、地域リソースを熟知した八幡平DMOと連携して開発されたプログラムです。今回、中心に据えたプログラムは【八幡平の鉱山の歴史】、【地域のアントレプレナーに触れる】、【自然と人の共生】3つでした。
*注釈
Human abundanceの探究プログラム(越境学習)は、わざわざ地域に赴き実践しています。プログラム設計の基本概念として「普通の人は直接見聞きしていること、行おうとしていることは、個人の生活圏を超えることはなく、人の視野や能力が及ぶのは、近隣に留まるものであり、他者の生活圏については、傍観者としての分を守るものです。傍観者から当事者への移行は、現地・現物・本物の実体験を通した想像性を働かせることによって実現する」という考えのもと実践しています。
八幡平の鉱山の歴史
歴史的変動や、自分たちが暮らしている社会全体の浮き沈みを理解するうえで、東洋一といわれた松尾鉱山について、知ることから始めました。
新たな時代を鋭く予見した「成長の限界」では、鉱物やエネルギー、農産物が枯渇へと向かえば、経済の根幹が数十年という短期間にどのようなカタチで破綻するかを説きました。資源と人の社会生活を理解するアクティビティです。
松尾鉱山の歴史のレクチャー
松尾鉱山は、「雲上の楽園」と呼ばれ、標高およそ1000mの人里離れた高台に存在していました。松尾鉱山のピーク時には、人口約1万5000人にもなり、本山(現・緑ヶ丘)と屋敷台(現・柏台)に暮らし福利厚生施設の整った近代都市となり「雲上の楽園」と呼ばれてました。
鉱山周辺には小学校、中高校、病院や郵便局、映画館など、生活に必要な一通りの施設が揃えられており、スポーツ用品店などは、その時代の一番いいものが品揃えられていたようで、盛岡からわざわざ買いに来るくらい、非常に豊かな暮らしが存在していたそうです。
現在、松尾鉱山跡地には、その時代の繁栄の象徴でもあった建設された鉄筋コンクリート造りの住宅が今でも現存しています。
「無くなるはずがない」と考えられていた鉱山
現存する緑ヶ丘アパート、至誠寮、桂寮
松尾鉱山は、昭和20年代、日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占め、東洋一の産出量を誇りました。硫黄は主に合成繊維、農薬、医薬品などに使われ、硫化鉄鉱は、硫酸や肥料の原料となりました。
しかし、石油精製の過程で排出される回収硫黄=代替品の脅威によって、鉱山から産出される硫黄の需要が急減しました。「無くなるはずがない」と考えられていた鉱山は昭和44年には閉山しています。転機は、昭和30年に入り、海外の安価な硫黄の流入でした。低価格の硫黄による市場の潮流を経営はいち早く感じとり、経営転換などを図りますが、約10年後には閉山することになりました。
松尾鉱山は、一時代、地域を巻込み繁栄を謳歌した鉱山でした。しかし、今では鉱山から流れ出る強酸性水に対して炭酸カルシムを使用して、中和処理を続けなくてはならない状況が続いています。
松尾鉱山資料館にて松尾鉱山を中心とした街の在り方について説明を受ける
自分たちひとりひとりの生活パターンと、社会の流れとの間に複雑な繋がりがあることに気づくことは難しいですが、過去の資源活用と人間の生活を構造的に理解し、自分たちの現在の置かれている環境について、理解を深めて考えました。
参加者の声
- 非常に貴重かつ学びの多い機会でした。まず、事業の栄枯盛衰や会社が町や文化を作っていた過去、そして現代に残している遺産(正も負も)、全てが今の時代に影響を与えていることを学ぶことができました。また、実際に跡地など生で見学することで肌で感じ、自分事化することができました。
- 松尾鉱山の陰と陽の両面を学び、地域社会がどう繁栄し終焉を迎えたのか、生活のリアルな部分とともに知れてよかった
- 松尾鉱山で働く人・そのエリアにて生活できる環境が整っていることがまさに雲上の楽園といえるような環境から一転して廃業に追い込まれることは、さまざまに進化により変わることを教えてくれました。
- もともと知らなかった歴史を直接見聞きし、過去の知見を得ることが未来の発展には大事と感じた
地域のアントレプレナーに触れる
2つ目のプログラムは、「多様な価値観との出会いを通じて、持続的な人の暮らしについて考える」です。地域社会のキープレイヤーたちは、事業経営と地域社会活動を繋げた働き方をしています。その働き方には、自発的、自律的に働く姿がありますが、その起点は、移り行く(社会)環境に直接的に触れ、環境の不確実性を実態を伴い体感していることが伺えます。この不確実性を吸収するのは、個人の専門的な職務に関する技術や知識以外の創造力や判断力や柔軟性などの職務外能力です。
普段の日常業務とは異なる環境に身を置き、地域社会でそのような方々がどのようにリーダーシップを発揮しているのか、学びました。
今回お話いただいのは、株式会社麹屋もとみやの本宮隆一さん(取締役会長)、株式会社肉のふがねの府金伸治さん(代表取締役)FUGANE 株式会社 肉のふがね - TOP ページ、ピネムの森の松本松本篤英さん ピネムの森 Official Website (pinemem.com) でした。
それぞれ立場で、地域への関りについてお伝えいただきました。本記事では、地元で麹屋さんとして、4代目の息子さんに継承された株式会社麹屋もとみやの本宮隆一さんにフォーカスして記します。
地域に根差した経営を進める株式会社麹屋もとみや ~魅力ある仕事~
VUCAと表現される激しい環境は、組織により創造的、革新的で柔軟な対応を求めます。組織の柔軟性は、個人の自発性、自律性を必要とします。一方、巨大化する組織は、非自律的な行動を促進し、組織の硬直化をもたらします。
組織で取り上げられる問題は、生産した製品やサービスから遠ざかってしまうことによる疎外感、協力や共同作業の代わりに利益追求を求められることによる、社会的な結びつきや共感の減少することによる孤立感や孤独感がありますが、仕事に魅力を持つということの大切さについてお話をいただきました。
地域で仕事をする意味とは?
「その地域で仕事をするという場合、仕事の他に、地域との絡みが出てきます。又、子供を通じての繋がりもあります。そういったことが結構な割合で存在する場所なんです。地域を無視しては経営はできないというのが、根幹にあるんです。これは、地域のみんなが考えていることです。この地域で仕事をする意味っていうのがあるです」(本宮さん)
都市部での働き方は、功利的に働くことに偏重しがちであって、近視眼的に目の前のタスクをこなすことに埋没してしまい、お客様をイメージしずらい状況があります。一方、本宮さんは、仕事という経営的な側面と、仕事の外の生活空間という側面の連動が存在して、人と地域社会と歴史に対して思いを巡らして働いていることが伺えました。
「仕事をされていく中での信念などがおありになるは勿論のこと、本宮さんの経営として柔軟性や許容力をとても感じることが多々ありますが、地域特徴などあるのでしょうか」(参加者)
「それぞれの地域で、特段変わりはないと思いますよ。どこの地域に旅行に行っても、いいな街だな~と思うことはたくさんあります。ただ、繋がりという意味で大きいのは、年寄りとの同居が多い地域ではあります。おじいちゃん・おばあちゃん、親、子供。実はそれが大きな要素なんだと考えています。どこどこの場所におじいちゃん・おばあちゃんがいる、ではなくて、家に帰れば年長者がいるという環境は大きな違いがあります。お年寄りは若い人よりも先に亡くなる、それを見て生活をしている。そういった昔からの家族の繋がりという意味では、濃い結びつきになるんだと思います」(本宮さん)
日本全体として核家族化進み、居住空間が分かれていき、おじいちゃんやおばあちゃんの老いをスポット的に感じるのか、生活の中で感じるのか、大きな違いなのかもしれません。
地域で働く「当たり前」とは
「家族の繋がりというのは勿論ありますが、未だに地域の皆さんと物々交換の世界があります。全部お金での代替だけではありません」(本宮さん)
「お金を稼ぐことが目標で、ゴール。一般的な企業は他社を駆逐して利益を追求していくことがベースにありますが、本宮さんたちは地域社会で独り勝ちをしたいわけではなく、地域社会で分配していく。諸々の付き合いも含めて地域を維持していく、ということが後継者の方々も魅力だと感じているのでは思いました」(参加者)
「魅力として感じているかは分かりませんが「当たり前」ということはあると思います。SDGsが声高に言われ始めましたが、そんなの「当たり前」と感じています。国全体でやっていこうという事には大賛成ですが、そう言わないといけない現状があるが故に、みんなで取り組もうということなんだと思いますが、そうでなくて、当たり前にやっている企業や地域もあるということなんです」(本宮さん)
市場競争の中での「淘汰」と「適応」の過程が存在します。私たちはその過程を通じて、どのような人格形成を行い、それがどのような生活態度として現れるか、重要な要点です。サステナビリティというキーワードで経営や働き方について語られる中、愛情たっぷりに話をいただく本宮さんの経営には、地域と共に暮らす、大前提がありました。
参加者の声
- 何より会長の人生観や仕事に対する向き合い方にとても感銘を受けました。特に学んだことで自分自身の仕事に対する向き合い方に生かしていきたいと感じたことが、「自分事化」して「没頭」することです。今日から意識変革と行動変容をしていきたいと思います。
- 地域の人の交流は非常に良い経験になりました。地域を守る・使命感が伝わる・将来的なビジョンまで描かれており、今後の取り組みに対しても非常に興味があります。
自然との共生
「かつて人と馬が共生していた草原を守り、繋げたい」とガイドの阿部文子さんは語ります。
3つ目のプログラムは、地球環境問題の分岐点と言われる時代において「人が自然と共生する、アイディア・行動を体感する」プログラムです。
プログラムをガイドしてくれるのは阿部文子さん。東京都出身。文化人類学・岩手の民俗を通して博物館学芸員資格を取得。観光業に携わり渡英。ロンドンの人材コンサルティング会社に勤務後、アンティーク取扱事業を展開し、ヨーロッパと日本を行き来しつつ国内外各地の歴史・文化・自然とひとの暮らしや生き方への見聞を広げている。2015年より岩手山の麓・八幡平在住。"MATOWA"代表としてイベント企画、ツアーコーディネート・ガイド業に従事。馬と暮らし住まいをリフォームしながら活躍している。
環境問題の認知
急速に進む地球環境問題。この警笛が鳴らされたのは1992年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議が契機となったものでした。これを推進したのが、米国クリントン政権下におけるアル・ゴア副大統領が中心とすすめられたものです。
環境問題を推進したアル・ゴア副大統領の愛読書であった、レイチェル・カーソン著「沈黙の春」。春になっても蝶が飛ばないし、鳥も鳴かないと、農薬問題につい執筆されたものでした。当時、アメリカは、土地開拓と共にリョコウバト、バッファローを絶滅させてきた歴史がありました。
資源の枯渇を認知したのは、1972年、シンクタンクのローマクラブが報告した「成長の限界」でした。この報告書には、公害問題、資源の枯渇、環境倫理について、問題提起されたものでした。時同じくして、日本では環境庁が1971年に発足をしています。世界的にみるとほぼ同時期に1967年スウェーデン、1970年アメリカ、イギリス、1971年フランスが環境担当省庁を設置しています。今から約50年前のことです。
現在では、その環境問題をスウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリさんや、多くの活動家たちが後を追っています。その一人が、阿部文子さんでもあります。
ガイドをしている阿部文子さん
市場からの要請に応える企業
企業は、市場からの要請を受け、気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)への参画し、気候変動関連リスクへの情報開示を開始しています。又、自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures、以下 TNFD)は現在、2年間にわたるTNFDフレームワークの設計段階の半ばを迎え、市場に向けて2023年9月にv1.0としてリリースされる予定です。TCFDは地球温暖化などの気候を対象とし、TNFDは気候変動に加えて「生物多様性」を対象としており、土壌や海という物理的なフィールドでの取り組みが必要とされますので、より一層企業や自治体、その他の組織、そして地域住民との密な関係が重要になります。
社員の共感を得られている企業活動になっているか
地球環境問題の注目度が高まる中、2023年6月15日現在、TCFDに対して日本では1,344の企業・機関が賛同を示しています。世界では最多の賛同数です。一方、一部の部門がIR情報の開示の一貫で定量的な情報を開示しているステータスに留まり、社員に会社が打ち出しているカーボンニュートラルやTCFD、TNFDへの取組みへの共感をどのようにして得ていくのか、企業経営の課題感として顕在化してきています。
資源枯渇の予測の問題は、何度も何度も繰り返されてきています。それらの主要な結論は、いずれ限界が来るのは間違いないとしても、その時期はいつになるのか?という問題にいきついています。
その議論の指標の一つとして表現されたのが、「エコロジカル・フットプリント」です。環境汚染を含め、人類が地球環境に与えている「負荷」の大きさを測る指標ですが、1980年代後半以降、自然の再生ペースをはるかに超えて毎年資源を消費続けているデータが明らかとなっています。私たちは、「エコロジカル・フットプリント」の数値を小さくし、負荷の少ない持続可能な暮らしを実現することが求められていますが、自然を大切にすることに異論はないものの、ではどのように一人一人の生活スタイルや、仕事の仕方をシフトチェンジしてくべきなのか、曖昧模糊としています。
自然を大切にする「当たり前」を体現
地球環境を居住空間で持続させていたくための「当たり前」の実践をしてくれているのが、阿部文子さんです。自然・馬・人が「千年草原」を守り伝えていきたいという内発的な動機づけ、市場からの要請ではない起点から活動しています。
阿部さんが所属する「安比高原ふるさと倶楽部」は、八幡平市支援による市民参加型の任意団体です。
「安比高原ふるさと倶楽部」の活動の歴史
*写真提供、安比高原ふるさと倶楽部
1968 馬と池
かつては人と馬が共生していました。工業化により、牛馬の放牧が減少する前は、夏場に生い茂る草を牛馬が食む風景が見られました。第二次世界大戦までは最多800頭ほどの馬が放牧されていました。
1980年頃 前森山ピクニック短角牛
馬や短角牛が放牧されていた時代には、見晴らしの良い広大なノシバの上でピクニックを楽しむ様子も見られ、自然と人が丁度よく関わりあう文化がありました。徐々にその時代が遠ざかると、山の麓に広がっていた木々がノシバのスペースに侵入してきました。ブナの二次林に囲まれた美しい草原の景色は、人と自然が共生して生まれた風景だったのです。
放牧なし1995頃
人と牛馬が去った草原は荒れ、侵入木により狭くなりました。かつての美しい風景を取り戻したい、という想いから、人と馬が再び協力し、草原のメンテナンスを行うことにしました。
2016年頃 重機による杭打ち 重機による柵打ち
柵設置
その年の計画に則って、馬の放牧範囲を柵で囲みます。柵には馬が脱走しないための低電流が流れています。広大な範囲に広がる柵と馬の管理要員と資金の確保が必要です。
柵設置
左柵再生中
人間が機械を使って灌木を取り除き、馬が食べないワラビ等の植物を刈ります。その後、馬が放たれ、ノシバ、ススキ、ササを馬が踏み、食み整備します。長い冬の間、馬は高原を下り、里で人と暮らします。飼養管理の資金や人手も必要です。人と馬が協力してメンテナンスすることによって、少しずつノシバの景色が取り戻されていきます。
左柵整備後2022
2022年頃 人と馬によって整えられた風景
知識や思考を外して、体験する
「安比高原ふるさと倶楽部」の活動があり、開かれた自然を満喫し、自然と動物と人の関りについて感じるプログラムです。阿部さんのインタープリテーションによって、日常とは異なる領域を分かりやすく解釈できるように伝えていただき、参加者が楽しく、興味がひかれるように運営してくれます。
アクティビティスタート
ウマと共に整備された草原
自然に解き放たれている馬たち
草原の柵の整備のお手伝い
草原から林に入っていく入口
草原と林では空気の流れ、気温、匂い、一気に変化があります。
阿部さんにご用意いただいた黒文字茶で一服。ひと汗流した後のお茶は格別です。
ポイント、ポイントで草木についての説明をいただきながら
馬たちが生活している空間に、人が入れさせていただく、不思議な感覚です。
プログラムを通して、阿部さんによるインタープリテーションによって、参加者が地域資源や地域課題に内在する意味や重要性を知的、感情的に結びつけられるようにしてくれます。ただ、自然を満喫するトレッキングなどと大きな違いです。
直接的な言葉にはされませんでしたが、阿部さんからのメッセージとして「私達は皆さんと一緒に、人と馬が共生していた草原を守る体制を準備して進んでいます。ぜひ、一緒に取組みをしていきましょう」と語り掛けがあったように思います。
参加者の声
- 参加前と後で森の見え方が全く変わりました。自然を守るためには木々を植え森林を再生させれば良いと思っておりましたが、そこにある生態系や本来あった自然を取り戻すことが大切であることを学びました。また、過去の人間の営みの形跡や自然の移り変わりなど今までの自分だと感じることができない視点で自然を見つめなおすことができました。
- ブナの森にガイドさんのご説明を受けてはいることで、自分だけでは気が付かない学びを得ることができた
- 安比高原で里と森の境界線を引いて、守っているのは阿部さんや「安比高原ふるさと倶楽部」の皆さんなんだ、すごいなと思いました。昔は馬と草原を維持することが、安比の生活で必要だったが、今はそうではない。でも今の世の中で別の価値を見出して、草原を守るサイクルを生み出そうとしている。里山をはじめとする人に好ましい環境を守る運動は私達もやってますが、生物多様性を守るうえで応援したいです。
- 自然の影響、草原を守る活動に対して非常に感銘をうけました。ブナも生きている…自然を人間が入ることによって様々な生物に影響をしていること。ブナが倒れてもそのあとの生物が活動している…先を見据えたこと…まで考えていなかったので今後についても先を見据えることを意識したいです。
- 初めてのガイド付きの森林セラピーは大変気持ちよかった。草原や湿原の大切さを学び、自分には何ができるか考えさせられた。
越境探究プログラム(in 八幡平)
【八幡平の鉱山の歴史】、【地域のアントレプレナーに触れる】、【自然と人の共生】の3つのプログラムは、普段の日常で繋げることができない「個人と社会」「人と機械」「人と自然」を統合的に捉えることができるユニークなプログラムです。八幡平は過去から未来に繋がる時間軸の広がり、工業化社会の中で資源を活用して発展してきた時間、人と動物が共生して豊かなに暮らしていた時間、そして、地域の持続性を「当たり前」として体現されている現在進行形の時間を凝縮して体感できます。
サステナビリティへの取組みを形式的ではなく、社員の腑に落ちた理解と共感を目指すならば、知識のインプットに留まることなく、実体験を伴った機会が最も効果的です。
「普通の人は直接見聞きしていること、行おうとしていることは、個人の生活圏を超えることはなく、人の視野や能力が及ぶのは、近隣に留まるものであり、他者の生活圏については、傍観者としての分を守るものです。傍観者から当事者への移行は、現地・現物・本物の実体験を通した想像性を働かせることによって実現する」(再掲)
今日のような圧倒的な情報量に蹂躙されている社会において、情報が人々の能力を圧倒し、取り込んいっています。私たちにとって必要なのは、地域社会で今何が起こっているかを知り、日本社会で私たち自身に何が起こりうるのかを分かりやすく概観できるように適切に情報を使いこなし、判断力を手助けをしてくれる思考力であり、その幹を築き上げてくれる体験が八幡平の越境探究プログラムです。
プログラム全体の感想
- 大きな循環のなかでの人間社会の小さな循環を感じた。人間には大きな循環を壊すことはできるが、見ることは一部しか見ることができず、かつその循環を人工的に維持管理できるという錯覚が強く働いていると感じた。
- 特に自分自身の人生の在り方と仕事に対する向き合い方を学びました。学んだ人生の在り方とは、都内でサラリーマンとして働いてお金を稼いで幸せを得ることが全てではなく、自分の「幸せ」を起源として考えたときに多様な人生を描くことができるということです。仕事に対する向き合い方は、まさに「自分事化して没頭する」ことです。今日から学んだこともとに意識改革、行動変容していきます。
- 環境、地域のコミュニティー、事業など、うまく回すにはどうすれば?という話を通じて、自身の職場、属する会社をうまく回す(収益を上げる、仕事がうまく回る、次世代にうまく引き継ぐ)には、どうすればよいか、という観点で、自分の仕事を考える。という視点を得た。
- 人と資源・自然・地域様々にことについて勉強することができました。また、研修を通じて、自分がその立場であったらどうなんだろう?と考えることによって自分を見つめなおすきっかけになりました。物事について先を見据えることの大切さ・自然に対する大切さ・地域の取り組みの大切さのことは、我々の生活においても非常に重要な観点が含まれているため、この観点を取り入れ、仕事や取り組みを進めていきたいと思います。
- 地域には、地域の魅力ある人や場所、風景があり、そこに惚れて帰省したりして、移住する人たちがとても生き生きしていた。企業と地域は密接にかかわっており、地域を不幸にするか、幸せにするか、とても長いスパンで企業活動をする必要性を感じた。