【対談レポート】地域社会をつくるすごい人_地域おこし協力隊の榮高志さん
語り手
地域おこし協力隊 榮高志 氏
聞き手
ヒューマンアバンダンス株式会社(旧・株式会社ビジネス・サクセスストーリー) 代表取締役 川九健一郎
今回は、徳島県美馬郡つるぎ町で活躍されている、榮高志さんにお話を伺います。
地域の活性化の取り組みを行う中で、”地域おこし協力隊”のメンバーとの協働は欠かせません。
昨年より、アドバイスなどをいただきながら共に活動している榮さんより、沢山のお話をいただきました。
我々のような地域活性化に携わるメンバーや、他の地域で奮闘している”地域おこし協力隊”のメンバーに非常に参考になるお話です。
1.地域おこし協力隊として移住するきっかけ
川九 →
榮さんは、徳島県美馬郡つるぎ町で“地域おこし協力隊”として活躍されていらっしゃいますが、榮さんは元々つるぎ町とゆかりがあるんですか。
榮さん →
ゆかりに関しては全くないですね。
近いといえば近いですけど、地元は大阪なんです。
2015年の9月に浅草で西徳島山間部の世界農業遺産の取り組みの話を聞いて、これは絶対に次の社会に向けて日本から世界に発信できる面白いものだと思って、その講演会の次の日に、講演会に地名が出ていたっていう理由だけで、つるぎ町役場に電話していました。
だから縁もゆかりもないんですけどね。
そのまま現場を見せてもらって、「この町に決めた!」って、11月には移住してきたって感じです。
川九 →
すごい!!!
榮さん →
まぁ直感といえば直感ですけどね。
なにがすごいかっていう話をしだすと3時間ぐらいかかっちゃいます(笑)
ゃったところと関係があるのかもしれませんね。
川九 →
それだけのものだから、みんなに行って欲しいですよね。
榮さん →
移住は、目的を持たずに何となーくで、例えば都会の暮らし疲れたなとかちょっと田舎でのんびり生活したいな…というところから始まると、いざ何かつまずいた時に立ち直れなくなったりとか、逃げるケースが出ちゃうかも知れません。
自分が偉いとかっていう訳じゃないですけど、僕の場合は高校を卒業してから、アメリカに留学して感じたところが原体験になっています。海外で暮らすと、客観的に「日本の文化・歴史の素晴らしさ」を知ることができ、それを仕事を通じて伝えてゆきたいということが僕の人生の原動力になっています。
帰国してから東京に出て、演劇を13年やってきた目的もそこにありますし。そこがやっぱり常にあるからこそ何かあっても、小さいところでは色々あるかもしれないけど、大きいところでの本質を見失わずに来れてるのかなっていうのはあります。
つるぎ町に日本神話の「天岩戸伝説」が残る神社があり、そこから古事記とか日本書紀に興味を持って学んでみると、そこに日本の原点を感じることができます。
京都とか奈良にあるような立派な社殿の神社も良いですけれど、西阿波の山には道端にひっそりと祀られている小さな祠から、
大きな岩や巨樹、または山そのものが御神体として祀られています。
スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」ではありませんが、八百万の神様を感じることのできる場所で日本の原風景を探求していると、都会で暮らしているときには忘れていた大切なものに多く気付くことができ、それは徳島の山奥での局地的なものではなく、
世界につながる面白いものが見えてきます。
昨今はグローバル社会に向けてだか、小学校から英語を学んだりするようですが、海外のお客様をご案内していると、それより大切なのは日本人として日本の文化や歴史をしっかりと伝えられることが求められていると感じます。
インターネット社会の面白いもので、本当に見てみたい・体験してみたいことがあれば、たとえそこが山奥の不便な場所であっても世界中から人はやってくる時代です。
実際、徳島市内より西阿波の山の方が海外のお客さんがたくさん来ています。
山深い西阿波までわざわざいらっしゃる海外のお客様は、場合によっては日本人以上に日本のことを学んでいて、山の集落をご案内してると本能的に日本の原風景にある本質のようなものを直感的に分かるみたいです。
もちろん海外の方だけではなく、都会に暮らす日本人のお客様をご案内しても、この場合は移住してきた僕自身の感覚とも凄く近いのですが、都会の生活で忘れてしまっていた大切な何かを思い出して帰ってゆかれます。
体験型の観光による交流人口が増えることにより、過疎・高齢化で悩む地域が少しでも活性化し、ご先祖様から受け継いできたものを次の世代に残せるのならば、僕は現地とお客様を繋ぐハブになるような仕事でやってゆきたいと考えています。
2.この地域ならではの強み
川九 →
日本は島国です。他文化に触れることがほとんどありません。なかなか長期休暇取れないので。他の文化に触れられないからこそ、日本の良さっていうのに気づけないと思うんですよ。
榮さん →
それはわかります。
川九 →
例えば徳島に来てくれた海外の人と、若者の接点を持ってもらうような機会を作れたらいですよね。それを今作りたいと思ってて。
榮さん →
それは僕もぜひやっていただきたいですね。
川九 →
それで、その差異を感じられたら日本の良さってもっともっとわかっていくと思うんですよね。
榮さん →
そうなんですよね。
僕もそうだったんですけど、外に出て初めてわかる良さって、これは徳島から出て東京に出た人が帰ってきて「徳島っていいとこだな」っていうのと同じで、日本を飛び出てアメリカへ行ったときに初めて感じましたしね。
高校の頃は日本社会が嫌で海外に飛び出したのに、外で暮らして日本の素晴らしさに気付き、日本の風土を形作ってきたご先祖様たちに敬意を持つようになりました。
川九 →
さて、“地域おこし協力隊”として活動について、お伺いしていきたいと思います。榮さんは、“地域おこし協力隊”として活躍されているわけですが、地域の何を盛り上げて行きたいという思いがおありになるのでしょうか?
榮さん →
地元びいきなところがあるかもしれないんですけど、やっぱり地域資源的なものを含めて、僕はここじゃないと勝負できないないなぁと思っています。
世界が見ても、ここの地域は凄いなって思うだけの大切なものがあって、農業に限らず根本的な日本の原点がここにあるんだなって 強く感じるところなんです。
僕自身、お客さまを去年から数えたら一年で270人ぐらい、述べ人数で案内してますが、肌感覚で見てきたお客さん達の反応は勉強になりますね。
アメリカ人やフランス人などの欧米から、タイやシンガポール、日本人でも東京や大阪の都会から、地元の徳島にお住まいだけど西阿波は初めての人たち、年代も学生さんから主婦層、年配の方に至るまで、色んな人々を案内して、間近でお客さんの反応を見てて、西阿波地域・つるぎ町は、今後の未来を創っていくための大きな可能性を秘めてるなと確信しています。
ですので困難なことが起きても、この地域を離れることはないなっていうのは自分の中で感じてます。
川九 →
その気づき、覚悟は素晴らしいですね。
榮さん →
東京一極集中が叫ばれ久しく、地方は過疎高齢化に悩む現実。そこには様々な要因がありますが、端的にいうと若い世代がやってゆけるだけの「仕事」がない。つまり地方だけでは「経済」が回らないから、仕事を求めて若い世代は都会へ移り住み、地元は人がいなくなるから、ますます経済が回らなくなる悪循環。しかし、地元のミクロな視点から、大きくこれからの社会をどのようにしていくか、その双方の観点を持った上で、日本全国の様々な場所で興味深い先進的な取り組みが行われています。
そこで今、積極的に地元で面白いことをしている人に会いに行くようにしています。
従業員を何百人も雇用してやってゆく事業というものじゃなくても、地元に根差したものを活用して、そこでしかできないことを生業としてやってゆくこと。それはたとえば小さな喫茶店一つからでも、ゲストハウス一つからでも構いません。
そういった方々に話を聞くと、自分の現場でそこでしかできないことを活かしたことを地道にこつこつやり続けて、地元の信頼を得ることによって、小さいところからではありますが、「仕事」はちゃんと確立できると思います。
僕自身の好きで得意なことを活かした「仕事」を考えると、西阿波地域全体で取り組んでいる、これから世界を目指す日本農業遺産や観光圏事業に繋がる、集落ツアーガイドやグリーンツーリズムに興味を持っています。
先日も、ナショナルジオグラフィックツアーに同行させていただき、アメリカ・イギリス・フランス・シンガポール・モロッコと世界中のお客様をご案内させていただきました。
西阿波の観光圏事業の取り組みは、従来型の大型バスでの物見遊山、大規模ホテルで宿泊~お土産を買ってお終いというものではなく、質の高いお客様に、ここでしか体験できないことを地元との「交流」を通じて、日本文化の奥深さを知っていただくことを軸に据えています。
もともと西阿波の山間部は、いわゆる観光地ではなかったので、地元の方々の理解と協力が欠かせませんが、隣の美馬市の集落では、定年退職をされたご夫婦が帰ってきて、ゲストハウス開業に向けて準備をされて、20代の息子さんが一緒に農家レストランを開業するために、東京で料理修行をしていたり、少しずつではありますが、そういう新しい芽も確実に出てきています。
色々と上手くいかないこともありましたが、その中で僕自身は良い意味での「よそ物」の立場で何ができるのかが見えてきたところです。
川九 →
榮さんだからそのように考えられると思います。どうしても他責化しがちだから。やはり人のせいにして立ち直れなくなっている人たちもたくさんいると思います。
榮さん →
それも無理ないとこだと思います。
3.地域おこし協力隊として活躍するポイント
川九 →
最後に、地域おこし協力隊でうまくやっていくためのポイントってありますか?
榮さん →
まず人のせいにしないということです。
自分が選んだ場所にどれだけ主体的に興味を持って楽しんでいるか。
興味を持っていたら学ぶことも全然苦にはなりません。
例えばお客さんを案内しているときに質問をされて、知らないないことがあったら、次の日に町史とか村史とか調べてみて「なるほど、ここにはこんな由来があるからこそ、今があるんだ」と学んだら、次のお客さんには新しい話のネタとして、こっちも楽しんじゃってます。
「この地名はこういう言われだったのか」とか、「珍しい三方開きのお堂の文化について」だとか。
これは凄くローカルでマニアックな世界なんですけど、時には地元の人も知らないことを知ることによって、より一層、地元の方々の仲良くなれたりします。
よそ者でありながら、地元の人に勝るとも劣らない郷土愛を持つことは重要だと思います。
川九 →
話を聞けば聞くほど結構きついと思います。
例えば、一つあるのは、“地域おこし協力隊”として3年間の期間設定がされています。3年って長いようで短いですよね。思いを持って働いていても、よっぽどタフじゃないと心折れますよね。
榮さん →
実際、僕も折れかけたときもありました。2月半ばぐらいに感染性の胃腸炎にかかって。三日三晩水を飲んでも吐くような状況で、これ結構ストレスとか気疲れからきてるんじゃないかって。さすがに参りましたね、あれは。
川九 →
“地域おこし協力隊”として、頑張っているメンバーが日本にあちこちいると思います。
その横の繋がりを持ってあぁでもない、こうでもないってやっていかないと、
個の力ではどうしてもどっかのところまでは行っても…と思うんで。一緒に繋がっていけたらなって思います。
榮さん →
去年の大阪の専門学生が東みよし町にきてあれは相当良かったなって僕は思っています。
しっかりと目標を持って、Facebookとか見てたら就職が決まって東京きましたとかね。
PRパンフレットのキャッチコピーあの「都会人につぐ」っていう、あぁいうのはなかなか描けないですよ。すばらしいデザインです。
川九 →
ありがとうございます。これからも、情報交換しながら、一緒に活動していきたいと思います。
本日は長時間にわたりありがとうございました。
私たちも多くのことを学ばせていただいている榮さん。
応援しています!