参加者の声【滋賀県日野町での体験型企業研修】

東京から電車で約3時間。

“三方よし”の言葉の発祥地、近江日野。

近江日野での体験型企業研修に社会人と一緒に参加してくれました学生が感じたことを伝えてくれました。

自分の人生観に照らし合わせることや、日本の将来について考えること、また、お世話になった地域の将来について考えて頂きました。

参加する当事者の意識によって、体験型企業研修での学びは、さまざまです。

ご参加いただき、ありがとうございます!

 

参加者の声


永渕 沙也花さん【上智大学】

私がこのツアーを通じて最も心に残っている言葉は“三方よし”という近江商人の精神であった。
その背景には私自身の生きる上での信念があげられる。私は生きる上で、“Rica work<Life work”をモットーにしている。自分がやりがいを感じる仕事とは、自分自身だけでなく社会や他の誰かに喜びを与えられるものである。だからこそ、近江商人の持つ三方よしの精神は自分の生きる上でのモットーをまさに表した言葉であり、その意味で先人たちのこの精神に大いに共感した。
この精神だけでなく、近江日野商人に根付いていたあらゆる精神についてもっと深く学びたいと思った。私は、今にも引き継がれている独特の歴史的背景や日野の四季折々の風情と人と人との心の距離が近い本当の意味での“繋がり”のあるところがとても魅力的に感じた。そんな日野をもっと、多くの人に訪れてほしい、そう心から感じた。

次にこの研修を通じて私の考える地方創生のあり方について述べていきたい。
現代に至るまでの日本社会は代議制民主主義が取り入れられており、中央政府→地方自治体→市民という関係図になっている。しかし、これからの社会は、個別のニーズが多様化し、地方自治体や市民といったアクターに加え、民間企業やNPOといった小さな組織の関わりが増えていくという面で変容しつつある。

また、各市町村の状況や抱える課題が異なる中で、政府の政策を全ての地域で適用する事には困難性と複雑性が伴うだろう。また、現代の社会構造において、各地方自治体の要望が実際に中央政府に受け入れられる事は極めて難しいという事を実際に今回の日野町でのインタビューを通じて学んだ。

そうした社会の変容に伴って私たちが目指すべきなのは、より地域社会のニーズの反映された社会であると考えた。そのために必要なことは、地方自治体と市民と民間企業とがより強いパートナーシップを結び、政府がこれらの地域コミュニティの意思決定をサポートする様な政策を取る体制であると考える。
また、現在は政府の予算が各都道府県に割り振られ、その中でも各自治体に分割されているため金銭的な面でも比較論的観点においても地域間の協力体制が実現される事は難しい。
しかし、同じ日本に生きる立場として日本の直面する課題の解決と町の存続と活性に向けて今後地域間の協力は必須となるであろう。そうした横のつながりと縦のつながりの調和が実現された社会こそが持続可能な社会に繋がるのではないか。

今後の地方創生、“海外”“日本の若者”をいかに巻き込めるかが鍵となるであろう。東京だけでなく、日本の原風景の残る地方へ赴き彼らが日常とは違う空間の中で、人との関わりや新たな体験を通じて心の豊かさを育み、その地域へ再び訪れるきっかけへ。

また、地域にとっても都会の若者や海外からの観光客の訪問によって賑わいと活気をもたらす、そんな地域と何かしらの接点を持つ人を増やす地方創生のあり方をもっと多くの地域で普及していくべきであると考える。

地方創生とは短期的ではなく、長期的な課題であるからこそ、原点に立ち返った人を尊重した取り組みである必要性がある事を今回のツアーを通して学んだ。今後は、こうした海外の人や日本の若者と地域を繋げる様な取り組みを私自身が橋渡し役となる事で、地域へ活力を与えるとともに自分自身の人間力の向上へと繋げていきたい。

 

渡邉 梨沙さん 【上智大学】

まず私が今回の研修で感じたことは、関わった全ての日野町の方々の人としての温かみと町の人々の日野町への深い地域愛というものを感じました。

正直私は、滋賀県日野町、閑散とした町の中にいわゆる外ものと呼ばれる私たちがきて、町の人たちは驚かないのか、むしろお邪魔なのではないかという勝手な想像、仮定を立てていました。しかし、その仮定は町に一歩足をふみ入れた瞬間、覆されました。
町の人々、自治体の方が私たちをとても暖かく迎えてくださり、むしろ私たちの心が温まるような出会いがたくさん今回詰まっていたと思います。
早朝の町の雰囲気、お隣さん同士が軽く挨拶しあうような雰囲気(今の都会にはなく、昔から田舎にあるような雰囲気)が続いていくとより地域作りができると考えます。

今回の研修の主な学びである、日野商人のお話。
日野町を自分の足で歩き、日野町の人々に会い、つくづく感じたこと。
昔から続く日野商人の陰徳善事の教えが今の日野の町にも深く深く根付いているのかなと思います。
特に2日間様々お世話になった自治体の方、そして民泊をやっているところ(堀夫妻)など、様々な方にお世話になりました。
どの方もきてくださる皆さまのためならという気持ちをすごくお持ちであったなと思い、陰徳善事を体現されている方が多く日野の町にはいると感じました。

そして日野商人が昔からやっていた経営のやり方が現代のビジネスの世界に生きているということが正直私の中で新しい発見でした。
また、日野には企業でいう本社を置きながら北関東に進出していく、そして独自のやり方で様々な地域にコネクションを拡大していくことで、日野商人としてのビジネスをさらに広げ、地元に還元していくという形は現代のビジネスの根源になっていると実感しました。

個人的に感心したのは日野商人の10ケ条です。
一つ一つ本当に今に通じるものがありました。私個人としても、今年度からアイセックで一つのプロジェクトリーダーとして活動し、さらに後輩が増える年度でもあるので、とても学びの多いものとなりました。

 

今西 菜月さん【上智大学】

日野に直接行く前の新幹線で、インターネットで日野のことについて調べていた時は、日野が生き残るためには私の地元の豊田市のように、広い土地をつぶして工場を誘致し本社をそこに置くようなことをするしかない、例えばAIの本社など、と思っていた。大阪から近いことのようなぱっとみでわかるような情報からしか考えていなかった。

日野に直接きて感じたのは日野にあるのはただの土地ではないということだ。
さまざまな観光資源が存在した。日野商人、ひな祭り、祭り、山、竹、などだ。日野商人には、若い観光客、会社員をターゲットにできるような魅力があり、ひなまつりには、桟敷窓のような海外の人にうけるような、そこにカフェがあるならSNS世代の若い女の子をターゲットにできるような魅力があり、祭りには国の文化財になるような神輿や寺があり、山には川によって鋭く削られた雪に覆われ、竹には子供が興味を持つような竹笛や竹馬など様々な使い道がある。

特に私がすごいなと思ったのは、地域のつながりと、地元の人の地域に協力する姿勢だ。
私たちが訪れたときの地元のひとのうれしそうな笑顔とことばだ。
東京でもひな祭りの企画をやろうとすれば地域のつながりが希薄、マンションの隣の人とのつながりもなく、ごみ捨てや朝あったときに挨拶できない人もいるようななかで、難しいと思う。
だが日野では、歩き回ったほとんどの地域で立派なひな人形や桟敷窓があり、最近建った家も窓が桟敷窓風だったりして景観を壊さないような工夫がされている家が多かった。

また日野の街を案内してくれたかたの知識の豊富さにも驚いた。
お話を聞いたからこそ見えることもたくさんあって、立て看板だけではわからない、ひとに聞くからこそ見えることがたくさんあった。
かわらの種類や日野の火事の大きさや、でっちさんのはなし、いろんなことがお話から垣間見えた。

それぞれにさまざまな魅力がある素材は持っているのに、それが広告できていないのが日野の問題であるのではないかと考える。
ただパンフレットは英語表記がちゃんとされていたり、きれいな紙にきれいな風景がたくさん写されていてそれが何パターンものパンフレットになっている。
人を呼ぶのが難しいのだと思う。

日野の糸口として、箇条書きにして思いついたのは日野商人、祭り、自然資源、古民家、外国人、京都との連携、後継者問題、地域のつながりなどだ。
これらを含めて考えたのは
①民宿のブランド化【http://kominkasaisei.net/
②中央メディアとの協力である。
①に関しては、2日目にお昼ご飯を頂いたときに、とても楽しいお話や、東京の家ではみたことのないような写真や、お風呂や、立派なお仏壇や、焼き豆腐があってとてもわくわくした。

竹の裏山も魅力的で、また話を聞くことによって人間が手を加えないことで生態系の多様性が減るような日本独特な問題が生じていることも理解できるし、ものすごくためになった。
これらは十分固有性として通用するだろうから、これを外国人にターゲットに売っていくとしたとき必要なのは、ひとを呼ぶときことと、どううまくブランド化するかということだろう。

ひとを呼ぶ点に関しては京都との連携が必要だろう。
京都と日野ではかなり色が異なるから協力していくことは可能だろう。
京都には外国人観光客が日本で1,2番を争う数訪れる。京都と日野を一緒に訪れてもらえるような外国人向けツアーを打つのがよいだろう。
車の中で話を聞いたときに修学旅行生でそのようなことをしている学校があると聞いた。外国人向けに同じようなことをすることは可能ではないだろうか。
またブランド化するにあたって日野商人の末裔の若者を取り入れるのはどうだろうか。
そのためには、日野の魅力を知ってもらわなければならない。その時に日野商人に注目したツアーを若者に向けてすると同時に日野の街について知ってもらうツアーを開催することがまず重要だろう。②に関しては、社長の方々が言っていたような歴史ヒストリアやなんでも鑑定団に取り上げてもらうのがよいだろう。わたしの地元で岡崎という町は純情きらりという朝ドラに取り上げられたことで、一時的であるが観光客が増え、またこのときつくられた石碑や看板がいまだにつかわれることがあったり、これきっかけに岡崎を訪れた観光客がリピートしてくれることもある。
②のさいに難しいのはリピーターの確保だが、そこについては前半で記載した私が気づいた日野の魅力や、①で担保することが可能だろう。

日本の若者の感性は素晴らしいです!

さまざまな地域での体験学修を行っています。みなさんもぜひ、ご参加ください!

 

滋賀県日野町での体験型企業研修の詳細はこちらです。

→ http://bs-story.co.jp/topics/experience-learin/sanpouyoshi-detail